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李仲燮通り・李仲燮展望台(釜山)

イジュンソッコリ・イジュンソッチョンマンデ / 이중섭거리,이중섭전망대 登録者 : Kosetsuさん *登録日時点の情報のため、変更する可能性があります。
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    感動的(返信:2)投稿日:19.06.13
    投稿者:roka20さん
    最新レス:foodie さん (19.07.04)
  • [389052]
    もう一度会いたい。(返信:8)投稿日:18.06.09
    投稿者:Kosetsuさん
    最新レス:Kosetsu さん (19.06.08)
    ​韓国の著名な画家、イ・ジュンソプの名を冠した通りと展望台が釜山の凡一洞にあります。
    朝鮮戦争当時、イ・ジュンソプは日本人の妻と二人の子ども達とともに北から避難し、この地で一時期避難生活を送っていました。

    地下鉄「凡一」駅から映画「チング」の撮影地ともなった跨線橋を渡ってしばらく行くと「イ・ジュンソプ通り」が始まります。
    道路の壁に絵やパネルが貼り出され、家族を愛し絵を愛した画家の40年の生涯が年代記のごとく紹介されています。

    「希望の100階段」と名づけられた階段には、妻に宛てた手紙の一節が記され、階段の両側には自作の絵のほか、子どもに宛てた絵手紙なども展示されています。
    読み進んでいくと、日本に帰した妻子の健康を気遣い、もう一度会いたいという切なる願いに胸を打たれます。

    階段を上り切ると「イ・ジュンソプ展望台」があります。
    目の前に見えるのはタルトンネ。避難生活をした街、家族と別れた街・釜山の景色が広がっています。
    イ.ジュンソプはここに立って、日本にいる家族に思いを馳せ、一人残る年月を耐え忍んでいたのかもしれない。


    • 通りの標識。 イ・ジュンソプの胸像。「ㅈㅜㅇ서ㅂ(중섭)」とサインが書いてあります。 作品と友人の寄稿。 年表。 同。家族の写真もあります。 絵手紙。 希望の100階段。 「欄干ギャラリー」と書いてあります。 妻への手紙の一節が記されています。 子どもへの絵手紙。
    • 投稿日:18.06.09  投稿者:foodie さん NHKで特集されてから気になる画家の方です。てっきり通りは済州島にあると思っていましたが、釜山にもあるんですね!しかも以前その近くのホテルに泊まった事があります。
      その頃存在を知っていれば・・
      その番組によると晩年はとても貧しく、画用紙を買うお金が無くタバコの包み紙に絵を描かれていたとか、(それもまたいい味を出してますが)他の画家もそうですが、生前にもっと知られてて欲しかったですね。
      美術展で数点作品を拝見した事がありますが、家族への愛情が感じられる作品でした。
      そちらの通りにあるお子様への日本語での絵手紙が胸を打ちますね。
      次回釜山へ行く機会がありあましたら、必ず立ち寄りたいと思います。
      貴重な情報有難うございました!!
    • 投稿日:18.06.09  投稿者:Kosetsu さん こんばんは。
      お初にお目にかかります。

      済州島には美術館まであるようですから、あちらのほうが本格的なんじゃないかと思います。ただ、ここでもイ・ジュンソプの生涯やどんな作品を残したのかなどを概略知ることができました。

      たばこの箱の中にある銀紙に描いたという逸話も紹介されていました。そのくらい貧しさの極限にあったようですね。結局、愛妻や子供たちと別れたまま、孤独のうちに亡くなるわけですが、切ない話ですね。
      墓標はソウルの忘憂里共同墓地にあります。3月に行って来ましたが。

      釜山に行かれる時には、ぜひご覧になってみてください。
    • 投稿日:18.06.10  投稿者:うりん さん こんにちは。

      昨年11月に行って来ました。
      展望台が、ドラマ「サムマイウェイ」のロケ地になっているので見に行ったわけです
      (ミーハーですね)。

      近くまで行ったのですがよくわからなくて、歩いておられたご婦人に声をかけると
      ご一緒していただけることに。そして色々と説明していただき、階段を上がって
      いきました。
      私が一人旅なので、展望台の下で写真も撮っていただけました。
      背負っておられたデイバッグから画集を出して見せてくださいました
      (なんで持っておられたのだろう?)。
      本当にありがたかったです😊

      お別れしてバスに乗る時に、また別のご婦人にバスをお聞きしたら、
      一緒に乗りましょうと言っていただきまして、バスの中でお話していると
      「また来たら連絡してね」名刺まで頂戴して、無事に目的地へ到着することが
      できました。

      Wi-Fiを持っていないからとっさに調べることも出来なかったので、
      お二人にはとても助けられ、無事に行って帰ってくることができました。
      旅の触れ合いに感謝しました。

      イ・ジュンソプ作家のことは、何となく知っていただけでしたが、
      家族と離れて再会叶わず、どれほど辛かったかと思うと想像を絶します。
      • 階段横の空地の壁に掲げられていました 階段横の欄干ギャラリーに張り付けられていた代表作の黄牛
    • 投稿日:18.06.10  投稿者:Kosetsu さん >>うりんさん

      こんにちは。

      ドラマの撮影地になっていたんですね。そのドラマは見てませんが、映画「チング」は見ましたよ。
      このあたりずっと高台が続いていて、眺めもいいので撮影場所にふさわしいのかもしれないですね。タルトンネで暮らした貧しい少年時代、幾多の苦難を乗り越えて財閥令嬢との結婚、そして…。韓流ドラマですね(笑。

      うりんさんが経験されたように旅先で人の親切心に触れると、気分もいいし感激しちゃいますよね。釜山はソウルに比べると、親切な人が多いような気がします。中高年は言うに及ばず、若い連中もけっこう親切なのが多いですよ。

      イ・ジュンソプ画伯のように朝鮮戦争によって翻弄された人生を送るという悲しい話は多いですね。たしかソウル・吉祥寺の金英韓女史と白石とか、「白麟済家屋」のところでも書きましたが、白麟済先生ご夫妻の話もそうですね。
      映画にもありましたね。兄弟が北と南に分かれて戦うなんて言う悲劇が。
    • 投稿日:18.06.10  投稿者:foodie さん Kotetsu 様

      忘憂里共同墓地は著名人の墓が多いみたいですが、青山墓地みたいな感じでしょうか?
      あの時代、浅川巧さんみたいな弔い方をされている日本人もいたかと思うと、嬉しいですね。墓地は怖いから行けないですが、写真に合掌させて頂きます。
      吉祥寺、 白麟済家屋 の記事読まさせて頂きました。どちらも行った事があります。
      吉祥寺はガイドさんと行きましたが、ただ元料亭だったと言う説明だけで、 白麟済家屋は日本語ガイドが無かったので簡単なパンフレットだけの解説を読んだだけでした。
      どちらも興味深い切ないお話があったんですね。
      余談ですが、吉祥寺のすぐ向かいにはヨン様ファンが訪れるお店があります。
      ガイドさんが「そういう所ばかりでなくこういう寺にも立ち寄って欲しいな」と言われてたのを思い出しました(^-^)
      街歩きや博物館が好きなので、機会があればなるべくガイドさんに案内して頂くようにしていますが、やはり韓国語が出来るともっと深く掘り下げられるので違いますね。
      韓国在住されているみたいなので、これからも興味深い投稿楽しみにしております!!
    • 投稿日:18.06.10  投稿者:Kosetsu さん ​>>foodieさん

      こんばんは。

      忘憂里共同墓地ですが、夜はともかく昼は全然恐くないですよ。青山墓地とか小平墓地などとはまるで違っていて、山の麓から中腹にかけて散策路のように造成された道の両側に盛土の墓がポツンポツンと散在している程度です。小高い丘の散歩コースのようです。
      3月にアップしたものです(https://comm.konest.com/topic/374925)。写真をご覧になれば、大体の雰囲気はつかめるかと思います。なかなかいい所でしたよ。

      吉祥寺は秋に行きましたので、紅葉がきれいだったのが印象に残っています。吉祥寺周辺の城北洞一帯は見どころが満載ですね。2~3度回りましたが、文学者が暮らした家やカンソン美術館、静かなカフェがあり落ち着いたいい街です。
      ヨン様ファンが行く店は、ちょっと知りませんでしたけど(笑。

      やはり説明を聴きながら見学すると、理解度も違ってきますからね。たしかソウルには日本語ガイドが無料で案内してくれるコースが幾つかあったと思います。そういうのを利用するのもいいんじゃないですかね。

      投稿を楽しみにしているなんて言われると、これからも張りきっちゃいますよw
    • 投稿日:19.06.08  投稿者:Kosetsu さん ​「ヌナ(姉)の道」を抜けて、その先の緩やかな坂道をさらに行くと、終戦後帰還した同胞や朝鮮戦争時に避難してきた人々が暮らした「帰還同胞マウル」があります。
      イ・ジュンソプ画伯と妻・山本方子さんもここで避難生活を送っていました。1951年12月のことです。

      掲示されているパネルには、こう書いてあります。
      「イ・ジュンソプと家族たちは雨漏りがする仮設小屋であらゆる苦労をしたが、方子夫人は『凡一洞1497番地』で暮らしていた時が一番幸せだったと告白している。イ・ジュンソプは家族を(日本に)帰した後、昼は埠頭労働者として、夜は家族が去った寂しさを酒でまぎらわせながら、ここで『凡一洞風景』という名作を誕生させた」。(6月4日)

      • 帰還同胞マウル。 「凡一洞1497番地」というと、この路地の右側。 別の路地。 坂の上から。
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  最終更新日:18.06.09
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