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子城台公園(釜山鎮支城)

チャソンデコンウォン(プサンジンジソン) / 자성대공원(부산진지성) 登録者 : ae92toms(トム)さん *登録日時点の情報のため、変更する可能性があります。
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    1593年毛利輝元築城・小西行長指揮の城跡(返信:0)投稿日:14.02.13
    投稿者:ae92toms(トム)さん
    ◆訪問日時:2014年1月25日(土)14:45頃

    ◆入場料:無料

    ◆感想

    ○戦争の最中に急ごしらえ、突貫工事でつくったであろう石垣が
     今だ崩落も少なく残っている。その後の修復がないとしたら大変すばらしい。

    ①西側の門、クムヌグアン。これは朝鮮王朝時代の門の復元。

    ②子城台公園全景図。右下の西門から入り、反時計周りに歩き、
     図の上(東側)から中央の頂上に上がり、図の左(北側)へ降りた。
     
     地下鉄1号線凡一駅2番出口から10分近く歩いたが、
     城跡だけ見るなら図の左(北側)から上がって降りるのが最短コース。

    ③④⑤⑥石垣は北側から登ってくる途中でよく見られる。
     400年以上たっているが、予想以上にきちんと残っていて驚き。

    ⑦公園の頂上にある鎮南台。

    ⑧北側から階段を登りきろうとするあたり。

    ⑨北側入口。凡一駅2番出口を出てまっすぐ歩き、大きな歩道橋のある交差点
     を左に曲がり150m位歩くと右手にこれ。

    ◆歴史

    ○釜山鎮城の支城であった城で、そこから釜山鎮城の「母」に対し「子」
     の意味合いで「子城台」(チャソンデ)とも呼ばれ、現在は公園として整備され
     「子城台公園」となっている。

    ○文禄・慶長の役の際、日本軍の毛利輝元軍が1593年に釜山鎮の支城として築城。
     小西行長が指揮を執った。

    ○日本軍が退いた後は明の万世徳の軍勢が駐留した為に万公台とも呼ばれ、
     釜山鎮の水軍の指揮所として使われたが、更にその後の20世紀の日本植民地時代に
     撤去・整備された際に付近一帯も埋め立てられた為、当時の姿は消えてしまった。

    ○1974年の復元事業で鎮南台や鎮東門などが建設され、現在の姿に近づく。


    • ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨
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  最終更新日:14.02.13
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