ソウルの中心街・鐘路に佇む歴史的ランドマーク ソウルの中心街、鐘路(チョンノ)のランドマーク的な存在の大きな鐘楼が「普信閣」です。韓国語で「ポシンガッ」と発音します。朝鮮時代に都の東西南北4カ所に設けられていた四大門の朝と晩の開閉の合図と、火災などの非常事態に鐘を突いていました。現在の「普信閣」は、1979年8月にソウル市によって復元されたものです。普段はひっそりと鐘路の街に佇んでいる普信閣ですが、毎年、ソウルの年末カウントダウンイベント会場としても有名で、大晦日の鐘つきイベントには毎年15万人もの人々が集まり、普信閣一帯はお祭りムード一色になります。新年を告げる鐘の音と同時に上がる打上げ花火は、ソウルの年始を代表する光景となっています。
特徴
ソウル中心部、鐘路のランドマーク
古宮をはじめ史跡が多数点在する
鐘路(チョンノ)は、一方で現代的な商業施設が集まり多くの人で賑わうソウルの中心街です。そんな鐘路のランドマークとして知られているのが、大きな鐘が吊るされた鐘楼「普信閣(ポシンガッ)」です。
韓国では、朝鮮時代に都である漢陽(ハニャン、現在のソウル)を囲むようにぐるりと城郭が築かれていました。城郭の東西南北4カ所には城外と城内を行き来するための城門(四大門)が設けられ、毎日朝と晩の2回、鐘の音を合図に開閉されていましたが、その鐘があった場所こそがこの普信閣です。
韓国の歴史と共に歩んできた鐘楼
「普信閣」が初めて建築されたのは、朝鮮時代が始まってすぐの1395年。場所は現在の位置とは異なり「
タプコル公園」の西側、
仁寺洞(インサドン)通りの入口付近にありました。平穏に時を告げ続けるかと思われた「普信閣」でしたが、その歴史は波乱の連続でした。
4度もの火災に見舞われたうえ、日本の植民地時代には現在の位置に移転。さらに1950年代初頭の「朝鮮戦争」でも大きく破損し、幾度となく再建工事が繰り返されてきました。現在目にすることができる普信閣は、1979年8月にソウル市によって復元されたもので、正面5間、側面4間、2階建ての楼閣となっています。
首都ソウルの心臓部に位置する「普信閣」。かつて20世紀の初めには「
3.1独立運動」(1919年)の中心地となったほか、「大韓民国臨時政府」の母体である「漢城(ハンソン)政府」設立の宣布式もこの地で行なわれました。「普信閣」の敷地内にはいくつかの記念碑があり、韓国の歴史が刻み込まれた意味深い場所であることが伝わってきます。

朝鮮末期、斥和碑(西洋への抗戦の意を刻んだ碑石)があった場所を示す碑

3.1独立運動の記念碑。「独立万歳」の声が響く平和デモの中心地となった
普信閣という名の由来

「鐘閣」は現在も地下鉄駅の名として残る
「普信閣」の最寄り駅は
地下鉄1号線の鐘閣(チョンガッ)駅ですが、この「鐘閣」という名称は普信閣の元々の名前です。人々が「鐘閣」ではなく「普信閣」と呼び始めるようになったのは、朝鮮時代後期の1895年になってからのこと。

達筆な李承晩初代大統領の筆跡
第26代王の
高宗(コジョン)が「普信閣」と書かれた扁額(門などに掲げられる額)を下賜したことにより普信閣と呼ばれるようになりました。現在、普信閣に掲げられているのは、
李承晩(イ・スンマン)初代大統領の直筆による扁額です。
「普信閣」という名前には、「信じる心が広く行き渡るように」という意味が込められています。
東大門こと「
興仁之門(フンインジムン)」や、南大門こと「
崇礼門(スンネムン)」など、ソウルの四大門は儒教五常の徳である「仁義礼智信」の文字をとって名付けられていますが、そのうち「信」の字は城門ではないものの、門の開閉において重要な役割を担っていた普信閣に与えられているというのは興味深いところ。
数百年に渡り時を告げてきた銅鐘

現在の鐘は国民からの寄付で作られた
「普信閣」の顔といえば、2階部分に吊り下げられている銅鐘。現在「普信閣」にある鐘は1985年に鋳造されたもので、高さ3.82m、口径2.22m、重量19.66トンの巨大なものです。実はこちらは2代目の鐘。
元々「普信閣」にあった鐘は韓国の「宝物 2号」に指定されている貴重な遺物で、朝鮮時代初期の1468年に製作されました。午前4時に33回、午後10時に28回鳴らされ、数百年間に渡って都の城門の開閉時刻を知らせていました。

国立中央博物館に保管されている普信閣の鐘(宝物2号)
また、火災などの非常事態が起こったときや通行禁止時間を知らせる際にも鐘は鳴らされ、鐘の音は都とその周辺に住む人々の生活と切っても切れないものだったといいます。
現代に入っても大晦日などに打鐘が行なわれていましたが、1980年代に亀裂が見つかり、打鐘が不可能に。長い役目を終えた普信閣の鐘は、現在
龍山(ヨンサン)にある「
国立中央博物館」に移され、保管されています。
除夜の鐘つきイベントは年末年始の代名詞
時は流れ、城門の開閉儀式も行なわれなくなった現代のソウル。普段はひっそりと鐘路の街に佇んでいる「普信閣」ですが、年に一度だけ、その雄姿を人々の前に現すときがあります。それが、12月31日の大晦日。日本同様、韓国にも除夜の鐘があり、「普信閣」では1953年から毎年、大晦日に「
鐘つきイベント」が行なわれています。
各界の著名人が参加したり華やかな祝賀公演が開催されることで話題の鐘つきイベント。毎年15万人もの人々が集まり、普信閣一帯はお祭りムード一色になります。新年を告げる鐘の音と同時に上がる打上げ花火は、ソウルの年始を代表する光景となっています。
※年によってイベント内容に変動があります。

人でごった返す大晦日の「普信閣」前

0時の瞬間、光と音がソウルの空を彩る
普信閣の鐘を鳴らしてみよう!
鐘路を代表する歴史的建築物として旅行者にもなじみ深い「普信閣」。ソウル市では外国人を含む一般市民を対象に「普信閣」の鐘つきイベントを開催しています。打鐘は月曜日をのぞく毎日正午に行なわれており、予約も不要なので気軽に参加できます。
外国人対象の打鐘イベント参加方法は、開催曜日の11時半までに普信閣へ行き、スタッフに声をかけて受付票に国籍と名前を記入します。受付終了後、11時50分頃に打鐘に参加する人全員で守門軍の後に並んで鐘のある普信閣の2階へと移動します。
鐘楼ではまず始めにスタッフから鐘の由来について説明(英語または韓国語)があり、実際に鐘に触ったり記念撮影ができます。そしていよいよ打鐘!5~6人のグループに分かれて守門軍の合図に合わせて鐘を打ちます。
外国人登録(居所申告)番号がある在住者や、韓国人の友達がいる人はソウル市文化情報ネットワークホームページを通じて水~日曜日に開催している鐘つきイベントに参加することも可能。韓国旅行の記念に、ぜひ一度参加してみてはいかがでしょうか。

受付票に必要事項を記入

移動は守門軍について行きます

鐘についての説明があります

スタッフが記念撮影もしてくれます

いよいよ打鐘!

実際に触って、鐘の響きを感じます
外国人対象普信閣打鐘イベント
期間:毎週火曜日~日曜日の正午(毎週月曜日、旧正月・秋夕(チュソク)の連休、1月1日を除く)
参加可能な人数:制限なし(ただし打鐘は5~6人のグループで行なう)
申し込み:当日11時半までに普信閣前にて受付
韓国人・在住者対象普信閣打鐘イベント
期間:毎週水~日曜日の正午(旧正月・秋夕(チュソク)の連休、1月1日を除く)
参加可能な人数:毎日4名(団体参加も可能、要事前問い合わせ)
申し込み:
ソウル文化ポータルにて受付
>外国人登録(居所申告)番号または住民登録番号が必要
>当落はソウル市文化情報ネットワークホームページで個別確認
>参加取り消しは1週間前までに要連絡
参加取り消し・問い合わせ:02-2148-4169(普信閣管理事務所、韓国語)
最終更新日:18.12.31
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・記事全体を更新しました(20181231)
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・ホームページ情報を更新しました(20141015)
・電話確認により情報を確認しました(20130523)
・電話確認によりデータファイルを確認しました(20120905)
・電話番号、イベント情報を更新しました(20120423)
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