日本租界時の施設が残る伝統的建造物群の保存地域ソウル駅から地下鉄1号線で1時間余り西に行った仁川駅の東側にある中華街・仁川チャイナタウンの東隣。約130年前に仁川(インチョン)が開港した際に設けられた、日本の租界を元にした伝統的建造物群の保存地域が「仁川旧日本人街」です。一帯は「開港場近代歴史文化タウン」と名づけられ、当時の店舗や民家を再現。かつての日本の領事館や銀行、海運関連の建物が保存整備され、一部は博物館になっています。石造りや木造の趣のある建物が外国人観光客にも人気。周囲も伝統的建造物が保存整備され、1~3時間の散策コースが設定されています。
特徴
保存整備された日本の元租界
ソウル駅から地下鉄1号線で1時間余り西に行った仁川駅の東側にある中華街・
仁川チャイナタウンの東隣。約130年前に仁川(インチョン)が開港した際に設けられた、日本の租界を元にした伝統的建造物群の保存地域が「仁川旧日本人街」です。
一帯は「開港場近代歴史文化タウン」と名づけられ、当時の店舗や民家を再現。かつての日本の領事館や銀行、海運関連の建物が保存整備され、一部は博物館に。石造りや木造の趣のある建物が韓国を始めとして日本や中国などの外国人観光客の関心を呼んでいます。
街の成り立ち
日朝友好条規(江華条約)を契機に、1883年に日本人が居住するために設けられた租界から発展。日本からの移住者で人口が増えて、近代的な街が築かれました。租界制度は日本植民地時代になって1910年代に廃止されましたが、日本人の居住地は拡大。
太平洋戦争時には約1万人の日本人が仁川に住んでいました。日本の敗戦によって韓国人に戻されましたが、伝統的な建物は、老朽化などで解体されたものを除いて残りました。
まずは仁川駅前で情報収集

仁川駅観光案内所
※写真は以前のものです
仁川駅は、仁川港まで徒歩5分ほどの所にあり、100年余り前に開業。現在の駅舎は1960年に建てられたもので、駅舎を出て左側に観光案内所があります。
案内所の営業は9:00~18:00(12:00~13:00は昼休憩)で、仁川市の中区(チュング)の観光地を日本語などで記した地図がもらえるほか、パスポートなどの身分証明証を預ければ近隣の観光地をナビゲーター式で紹介する日本語版の端末機を無料で借りられます。
仁川旧日本人街
※右上のレベルで拡大・縮小が可能です。地図上をドラッグすると、移動することができます。
往時をしのばせる外交、金融の建物
清日租界の境界階段(旧日本人街の入り口) 地図1
旧日本人街は、駅からはチャイナタウンを通り抜けて行くのが一般的。チャイナタウンはかつての清国の租界と重なり、その東端に、旧日本人街の元に当たる日本の租界との境界を示す階段があります。階段の上には孔子の石像があり、下から見て左脇に中国式、右脇に日本式の石灯篭が並んでいます。階段下から東に約100メートル、2、3階建ての木造風の日本的な家屋が建ち並んでいます。

チャイナタウン側の街並

清日の租界の境界になった階段

旧日本人街側の街並み
領事館(仁川市中区庁舎) 地図2
租界の日本人居住者を保護するために設置された領事館を元にしたロマネスク様式の建物。1933年に2階建てに新築、1964年に3階建てに増築されました。日本植民地時代に仁川府庁となり、韓国の独立によって仁川市庁として引き継がれ、現在は中区庁舎として使われています。正面から見て水平に伸びた窓などが特徴。増築前の構造は分かりにくいですが、中庭の右側にある案内用の石碑に設けられた写真で、その姿をうかがい知ることができます。

元領事館を増改築した中区庁舎

正門の柱に設けられたモダンな窓

閑静な地に建つ旧済物浦倶楽部
旧済物浦(チェムルボ)倶楽部 地図3、虹霓門(ホンイェムン) 地図4
領事館から北に約150メートルの斜面に建つのが旧済物浦倶楽部。当時、仁川に住んでいた日本やアメリカ、ドイツ、ロシアなどの人々の社交の場として1901年に設けられました。
その後、日本の軍人会や米軍の将校クラブが使い、現在は市民文化講座の場になっています。虹霓門は同クラブから東に約350メートル行った、
仁川自由公園=
地図5=がある山の尾根を貫くトンネル。
日本の軍隊が日本人の居住地を拡張するために1900年代に石組みして造ったもので、名前の意味は虹の形です。

閑静な地に建つ旧済物浦倶楽部

仁川自由公園にある日本風の模様の塀
旧日本18銀行(仁川開港場近代建築博物館) 地図6
領事館の正面の三叉路から南に約50メートルきた交差点の左側にあるのが、1890年に建てられた日本18銀行の支店。長崎市に本店をおく銀行ですが、建物はその後、産業振興のための朝鮮殖産銀行の支店になりました。韓国独立後は
国営銀行などに使用され、現在は博物館として有料で公開。仁川の開港からしばらくたった街並みや鉄道などを大きなジオラマや映像、写真、絵葉書をかつての銀行金庫の場所も使って展示し、そのにぎわいを伝えています。※開館時間などはデータファイル参照

旧日本18銀行の外観

仁川開港の様子を紹介する内部

かつての金庫を使った展示
旧日本58銀行 地図7
旧日本18銀行の隣の建物が、大阪に本店を置いていた日本58銀行の仁川支店。1892年に開業し、安田銀行などを経て韓国独立後は銀行や赤十字の施設として使われ、現在は飲食業組合が入っています。建物は1939年に新築されたフレンチルネサンス様式の2階建て。外観はレンガ組みの石板仕上で、2階のバルコニーが異国的な雰囲気を醸し出しています。また旧日本18銀行との間の屋外スペースに板張りの小さな休憩所が設けられ、旧日本人街の大きな写真を背景にして写真撮影できるコーナーが設けられています。

2階建ての旧日本58銀行

写真撮影のコーナー
旧日本第一銀行(仁川開港博物館) 地図8
旧日本18銀行がある交差点を左折した左側にある重厚な石造りの建物。日本の租界が設けられた翌月の1883年11月に東京に本店があった第一国立銀行の出張所として設けられ、その後朝鮮半島の中央銀行に当たる朝鮮銀行の支店になりました。韓国独立後は行政機関などに利用され、外観は増改築されて少し変わりました。中央にドーム屋根を設けた1階建てで、後期ルネサンス様式。金庫部分は母屋と分離した蔵になっていたそうです。

旧日本第一銀行の外観

元金庫の入り口
内部は有料の博物館で、灯台の模型や、精巧な蒸気機関車のミニチュアを使って当時の仁川の港湾施設や鉄道の歴史を紹介。日本人や中国人が行き交った当時の一帯を描いた絵画などが飾られています。また交通の発達と前後して全国に先駆けて仁川から発達した韓国の郵便に関する資料も展示。当時の郵便配達の道具や右から「郵便」と書かれた日本植民地時代の1912年式のポストも飾られています。
※開館時間などはデータファイル参照

旧日本第一銀行の内部

汽車のミニチュアなどの展示

約100年前の形のポスト
旧日本郵船株式会社 地図9
旧日本第一銀行の南西約100メートルにあるのが、1888年に建てられたと推定される日本郵船株式会社の支店。事業者は変遷したものの近年まで海運業関連の施設として使われました。正面を左右対称にし、入り口の上部を切妻屋根風の三角形にデザインして洋風らしく見せています。
建築当時は近代的な建築の材料が韓国ではあまり製造されておらず、その多くは第一国立銀行と同じく日本などから運んできたそうです。現在は2009年に開業した
仁川アートプラットフォームの資料館として使われています。
様子
周辺の旧市街地を散策する楽しみも
日本植民地時代の終わりとともに日本人が引き揚げたために、日本風の雰囲気は一時廃れた旧日本人街。ただし隣のチャイナタウンが近年、観光開発で活性化したことで観光客の新たな流入も期待されています。また、その周囲の旧市街一帯で教会や郵便局などの伝統的建造物が保存整備され、「仁川開港ヌリギル」と名づけられた1~3時間の散策コースが設定されています。
その日本語の案内図が旧日本第一銀行(仁川開港博物館)などにも置かれていますので、携えて見て回ると仁川の歴史をいっそう楽しめるでしょう。
掲載日:11.10.17 最終更新日:22.05.16
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・基本情報を確認しました(20220516)
・一部記事内容を更新しました(20130415)
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