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  • 日帝時代に毀損された徳寿宮の復元20年プロジェクトスタート

  • 社会・文化 2018年06月20日 11:20
  • もともとの名前は慶運宮(キョンウングン)だった。現在正門として知られる東門の名前は大安門(テアンムン)で、大漢門(テハンムン)という名前は後で付けられた。1896年の再建当時の正門は仁化門(インファムン)だった。現在のソウル市庁舎別館の場所にあった仁化門は正門の機能を失い跡形もなく消えてしまった。

    ソウルで最も身近な朝鮮宮廷のひとつである徳寿宮(トクスグン)の話だ。桎梏の朝鮮の歴史とともに王室があらゆる波風を体験し徳寿宮は本来の姿を相当部分失った。しかしこの事実すら知っている人は多くない。

    1919年の高宗(コジョン)崩御から100年間、当初の姿を失っていた徳寿宮の本来の姿を取り戻すための復元事業が推進される。文化財庁は日帝により変形され歪曲された徳寿宮の姿を取り戻すための事業を始めると19日に明らかにした。もとの場所を失い放置されていた徳寿宮内の咸寧殿(ハムニョンジョン)の正門である光明門(クァンミョンムン)をもとの位置に移し、日帝強占期に取り壊されて消えてしまった惇徳殿(トンドクジョン)、ソン源殿(ソンウォンジョン)を本来の姿に復元するというものだ。この事業には約514億ウォン(約51億円)の予算が投入される。

    徳寿宮は1897年に高宗が大韓帝国を宣言してから13年間にわたり大韓帝国の宮廷として使われたところで、当時は重明殿(チュンミョンジョン)と旧京畿(キョンギ)女子高校があった場所まで含まれる広い宮域を占めていた。しかしその後宮域がさまざまな理由で削られていき宮廷の殿閣は消えた。

    現在の徳寿宮と米国大使館の間に塀で仕切られた道が作られ徳寿宮が2つに分断されたのは1920年代のことだ。ソン源殿(朝鮮時代の歴代王と王侯の肖像を奉安した殿閣)の領域は総督の手に渡り朝鮮貯蓄銀行などに売却され、ソン源殿は取り壊されて昌徳宮(チャンドックン)に移された。徳寿宮の公園化計画によりもともとあった惇徳殿も取り壊され、咸寧殿(高宗の寝殿)の正門だった光明門は現在の位置へ移され、自撃漏、洪川寺銘銅鍾を保管する展示館に変わってしまった。

    文化財庁はまず日帝時代に移された光明門をもとの位置に移転する計画だ。2016年の発掘調査の結果、光明門と配置形態が同じ建物の場所を確認した。光明門移転は19日の起工式行事から始まり今年末までに完了する計画だ。

    1902年に建てられたが後に歴史の中に消えた惇徳殿も石造殿(ソクチョジョン)の後方に再建する。惇徳殿は高宗即位40周年を迎え称慶(祝賀)儀式をするために建てられた洋式宴会場だ。高宗に会うための待機場所や国賓級外国人訪問時の宿舎などとして活用され、純宗(スンジョン)の即位式が開かれたところでもある。しかし純宗が住まいを昌徳宮に移した後、徳寿宮公園化事業が推進され消えた。文化財庁は今年惇徳殿復元工事を始め2021年に完工する計画で、復元後は大韓帝国と関連した資料館などとして活用する予定だ。

    高宗が大韓帝国皇帝に即位する前に最初に新築したソン源殿も復元する。ソン源殿は火災と復元、そして解体など波瀾万丈だった歴史を持つところだ。1900年に火災で焼失し、1901年に旧京畿女子高校の敷地に移して復元され、1919年以降は他の建物が作られて解体される過程を経た。

    文化財庁は2038年まで3段階にわけて真殿であるソン源殿、殯殿として使われた興徳殿(フンドクジョン)、魂殿である興福殿(フンボクジョン)など主要殿閣と付属建物などを復元していく予定だ。今年はソン源殿の発掘調査に向け米大使館として使った朝鮮貯蓄銀行社宅、米副大使館官邸など建物9棟と施設を撤去する。

    徳寿宮復元プロジェクトを見つめる専門家らの見方はやや交錯する。牧園(モクウォン)大学のキム・ジョンドン教授は、「これまで埋もれていた多くの徳寿宮関連史料が新たに発掘された。これを復元しないで伏せておくのは歴史を覆うようなもの。これまでたくさん歪曲され宮廷としての品格も毀損された徳寿宮を復元するのは歴史を正しく見るための作業で大変重要だ」と話す。

    京畿大学のアン・チャンモ教授は「徳寿宮復元は大韓帝国の歴史に新たな角度で光を当てるという点からもその意味は大きい」と強調した。アン教授は「これまで朝鮮の宮廷に対する関心は景福宮(キョンボックン)と昌徳宮に集中しており、徳寿宮は国を奪われた悲運の王・高宗の宮廷程度とだけ見られてきた。しかし最近学界では高宗が近代国家システムを構築するために努力したとの見方が新たに注目されている。これまで評価が低かった大韓帝国を見直すためにも徳寿宮復元は大きな意味を持つ」と話した。

    これに対し明智(ミョンジ)大学のホン・スンミン教授の意見は違う。ホン教授は「徳寿宮復元の意味と正当性だけでなく復元の実際の可能性に対する議論が十分にあったのか疑問」と主張した。ホン教授は「光明門を元の位置に戻す作業は意味がある」としながらも、「歴史を記憶することと過去の建物を復元するのは話が違う。いまこのタイミングで莫大な予算を投じすでに歴史から消えた惇徳殿(トンドクジョン)とソン源殿(ソンウォンジョン)を再び作る理由があるのか問いたい」と話した。

  • 伝統と近現代の景観が共存している徳寿宮の夜景。日帝強占期にもとの位置を離れ現在の国立現代美術館徳寿宮別館横に移転した光明門(写真左側下部)は年内に本来あった咸寧殿(写真右側)の前に移される予定だ。(写真=文化財庁)