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  • 朝鮮に尽くした浅川兄弟を追悼 山梨県北杜市から訪韓団

  • 社会・文化 2015年10月01日 10:33
  • 【ソウル聯合ニュース】日本による植民地時代に朝鮮民芸や陶芸を研究し、山林保護に取り組むなど朝鮮に尽くした日本人、浅川巧(1891~1931年)とその兄・伯教(1884~1964年)をしのぶとともに、韓日協力を図るため、浅川兄弟の出身地である山梨県北杜市と市民団体の関係者が2日に韓国を訪れる。日本側と交流と深め、今回の行事につなげた韓国の市民団体「李秀賢義人の文化財団設立委員会」が1日、明らかにした。

     白倉政司市長ら北杜市関係者と、同市で発足した「浅川伯教・巧兄弟を偲ぶ会」の関係者約30人はソウルで、1905年に乙巳条約(第2次日韓協約)が締結された徳寿宮重明殿と、その近くにある浅川伯教の住居跡を訪ねる。独立運動家が投獄された西大門刑務所歴史館(刑務所跡)、忘憂里公園墓地にある浅川巧の墓、さらに忠清南道天安市の独立記念館を訪れ、浅川兄弟にスポットを当てたフォーラムも開く。

     浅川伯教は1913年に京城(現ソウル)の小学校の美術教師として赴任。朝鮮の陶磁器に心酔し、全土を踏査し陶磁器の歴史をまとめた。1946年に日本に帰国する際に寄贈した陶磁器と工芸品約3500点は、国立中央博物館に収められている。

     浅川巧は兄の勧めで朝鮮に渡り、朝鮮総督府の林業技師として朝鮮半島の緑化に献身するかたわら、朝鮮の文化に愛情を注いだ。急性肺炎で亡くなると、「朝鮮式の葬儀で朝鮮に埋めてほしい」という遺言通り忘憂里に埋葬された。墓は昨年、北杜市の財政支援で朝鮮式に整備された。今年4月には李秀賢義人の文化財団設立委員会の主催で、墓前で追悼式が開かれている。

     李秀賢義人の文化財団設立委員会は、2001年に東京の駅のホームから落ちた日本人男性を助けようとして亡くなった韓国人留学生、李秀賢(イ・スヒョン)さんをたたえる文化財団の設立を目指し、韓日の親善に努めている。今回の追悼行事について委員会側は、「韓日の義人を取り上げることで両国の善隣の懸け橋になることを期待する」と話している。