アンニョンハセヨ~!!^^
ついに、一年間の長くて短い留学生活を終えることになりました
とても楽しく、とても充実した、留学生活でした!^^
いろんな経験のできる留学でした。
日本からの留学生がほとんど居ない分、たくさんの済州島の方にお世話になり、触れあうことができました。
また、このコネストを通じて済州島を知ってもらう、ということも私の留学生活にとって、とても大事な意味を持つ物になりました。
たいした情報力も文章力もありませんでしたが、自分の知った済州島のいろんな部分を、ここで共有できる気がしていました。
在住者としてのコメントはもうできないのでしょうけど、これからは、旅行者として関わっていきたいなと思っています。
そして、最後の投稿にと決めていたのが、ここ
「済州島4.3平和記念館」
済州島には「済州島4.3事件」という悲しい歴史があります。
1947年3月1日から1954年9月21日の間に起こった一連の事件のことです。
きっかけ自体は1947年の3月1日の3.1独立運動の記念行事に始まります。
そして、1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍支配下にある現在の韓国が済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警察隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮本土の右翼青年団などによる島民虐殺事件が行われていくのです。この事件を指して言います。
済州島に住む5分の1の島民が殺されたとも言われているひどい事件でした。
21世紀になって、自国の歴史清算事業を進める中で、初めて公式に故盧武鉉大統領が国家の責任があると謝罪したことも大きな歴史の一つです。
それを機に作られたのが、この「済州4.3平和記念館」です。
記念館横には、平和公園があり、慰霊碑などが数多くあり、その壮大な人々の死に胸が一杯になります。(ここにお墓があるのではなく、慰霊塔、慰霊碑など。骨の発掘できなかった人たちの慰霊碑も)
日本で言う、広島の平和公園のようです。
1階は、約1時間半ほどで回る展示室があります。
日本語で説明してくれる翻訳機(?)もありますし、運良ければ、日本語のできるガイドさんが案内してもくれます。
、済州島に住んでいる人たちの中には、少なからず、この事件の犠牲者になったという親戚をもつ人たちがいます。
2度ほど、この記念館に日本からの観光しにきた知り合いを連れて行くときにタクシー(ほとんどタクシーで行かれるのが便利かと思います。バスもありますがすくないです。だいたい、済州市内から15000w~20000w程度)に乗ったのですが、そのときの運転手さんも自分のおじさんが、おじいさんが犠牲者なんだ、というお話を聞き、ここに行く事をとても歓迎・感心してくれました。
大阪にも、生野区という場所は在日韓国・朝鮮人が多く住む地域で、この事件のために大阪に渡り逃げてきたという人もかなりいるそうです。
なので、済州島に訪れた際、ちょっと不便な場所ではありますが、訪れて頂きたい場所です。
済州島の華やかな観光地という裏側に、こんな悲しい歴史を持っている所なんだという認識をもたれることは、決して無駄な時間ではないと思います。
もうすぐ、またその日がきます。