首露王陵を見た後、王様の後は王妃様にもご挨拶と、王妃陵を見に行きました。
途中、大成洞古墳群を散歩しながらゆっくり歩き、30分もしなくて到着しました。
こちらもやはり綺麗に整備されていて、韓国の国鳥カッチが、他の場所以上に多くいて、美しい鳴き声が響いているとても気持ちの良い場所でした
観光案内所で、パンレットを貰っていたので、これがインドからはるばる船に積んで持ってきた石塔かあ…これが双魚かあ…
そう眺めながら王妃陵前へ行きます。
「先程王陵の方へご挨拶に伺いました。王妃様にもご挨拶致します。今回の旅が楽しい旅でありますように。」とお願い致しました。
王妃陵のすぐ横から、博物館の方へと向かう散策路がありますので、その道を歩いて行かれると良いと思います。
(プチ情報)
「首露王妃」とネットで調べますと、すぐにインドから渡ってきて嫁いだ…
という話が出てきます。
そんな約2千年も昔に、本当にインドから海を渡り、はるばる朝鮮半島南部まで嫁いできたのかな?とすぐに疑問が湧きます。
すると、2004年に、許黄玉王妃の「インド渡来説」を立証する科学的証拠が示された。とありました。
許黄玉王妃の子孫と推定される金海市にある古墳の遺骨を分析した結果、韓民族のルーツであるモンゴル北方系とは異なり、インド南方系だったそうです。
本当にはるばるインドから渡来され、嫁がれたのですね。
更にはこんな説も。
首露王との間に10人の子供を授かったとされております。
皆王子様だったとの事ですが、実は10番目の子供は王女様で、日本に渡り、卑弥呼となったという説があるそうです。
博物館へ行き、出土品を見て見ますと、あながち伝説でもなさそうだなと感じました。
果てしないロマンを感じます