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秀吉が朝鮮に出兵した文禄の役で、攻め入る大義がないとして朝鮮側に投降した武将がいました。名前を沙也可(サヤカ)といいます。
沙也可は朝鮮の国王から金忠善という姓名を賜わり、現在の大邱郊外・友鹿里で暮らしました。その子孫は今も同地で暮らしており、現在18代まで続いているそうです。
東大邱で地下鉄に乗り換えて七星市場駅で下車し、そこからマウルバスで約50分。友鹿里はのどかな山あいの集落です。
バスを降りると、目の前に達城韓日友好館と鹿洞書院があります。
友好館に展示されているパネルには、沙也可の生涯や投降・帰化した経緯、人物像などが日本語で詳しく説明されています。
そのほか、沙也可の口述などをまとめた「慕夏堂文集」とその木版など貴重な資料や日韓の交流史に関する資料などもあります。映像室では、帰化後の沙也可の活躍などを描いた3D映像を視聴できます。
沙也可については、NHKがドキュメント番組で取り上げたり、小説にもなったりしましたが、その出自に関しては闇の中です。
諸説ある中で、沙也可を初めて日本に紹介した司馬遼太郎は、和歌山の雑賀(さいか)がサヤカと伝わったのではないかと推測しています。
ポイント・オブ・ノー・リターンを越えてしまった沙也可。覚悟の上とは言え、もはや日本に戻れない身の上。老境に差しかかると、しばしば望郷の念にかられたといいます。
友好館の隣にある鹿洞書院の前に、日本の方角に向けて建てられた向陽門があります。沙也可はそこに立って、家族のこと、故郷のことなどを思い浮かべていたそうです。
南の風 折々吹きて 故国をぞ思いやる
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