
ピックアップ!お店紹介口コミ by Kosetsuさん
1895年に起きた閔妃暗殺事件。その実行部隊に加担した禹範善は事件の後、日本に亡命して日本人女性と結婚します。二人の間に生まれたのが、韓国近代農業の父と言われた禹長春博士です。
戦後の食糧難を解消しようと1950年、韓国政府は日本から博士を呼び寄せます。博士は、東莱にあった農業科学研究所の初代所長として農業の近代化に取り組み、農民たちも博士の指導のもと復興のための農産物増産に血のにじむ思いで頑張ります。
5日午後、東莱にある禹長春記念館に行って来ました。
記念館には博士の使った机や顕微鏡、カバンなどのほか直筆原稿などが展示されています。そのほか写真やパネルなどで博士の業績や生い立ちなどが紹介されており、研究者として真摯に生きた生涯を知ることができます。
受付にいる職員にわからないこと、知りたいことを尋ねると、該当のパネルや写真の前まで案内して、丁寧に説明してくれます。
もらったパンフレットに、少年時代の博士と母の逸話が載っていました。
朝鮮人という理由でからかわれた博士に、母は「道端のタンポポはいくら踏み付けられても最後には花を咲かせるでしょ。気落ちせずにタンポポのように困難に打ち勝って立派な人になりなさい」と言い聞かせた。母のこの言葉は、博士にとって生涯座右の銘となり、以後、辛い時にはタンポポの教訓を思い出して一生懸命勉強した。←帰りの地下鉄の中で読んでいたら、母を思い出してちょっとヤバかったw
1953年にその母が亡くなります。父が暗殺された後、苦労しながら女手ひとつで育ててくれた母と最期の別れをするため、博士は日本への帰国を当局に嘆願します。 . . .