朴烈義士記念館

パギョルウィサキニョムグァン / 박열의사기념관
5.0
(1件)
慶尚北道 聞慶市 麻城面 セムコルキル 44
(3~10月)9:00~18:00(最終受付17:30)、(11~2月)9:00~17:00(最終受付16:30)
月曜、1月1日、旧正月・秋夕(チュソク)の当日
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金子文子の墓がある「朴烈義士記念館」

ピックアップ!お店紹介口コミ

聞慶セジェと五味子で知られるのどかな地方都市・聞慶。その山裾に、ある日本人女性の墓標がある。明治、大正時代を数奇な運命に翻弄されながら、駆け抜けるように生き急いだ女性。名前を金子文子(1903年1月25日~1926年7月23日)という。

関東大震災が発災した翌々日の1923年9月3日、文子は内縁の夫・朴烈とともに治安警察法により予防検束される。大審院における判決は、大逆罪により死刑(後、無期に減刑)。
獄中生活を送っていた1926年7月23日、収監中の宇都宮刑務所栃木支所で獄死する。23年6カ月の短い生涯だった。

ソウルからバスで約2時間。聞慶共用バスターミナルでバスを降り、金子文子の墓がある「朴烈義士記念館」に向かう。

山の麓に建つ記念館は、想像以上に立派な建物だ。受付で芳名録に記名した後、見学者が自分一人ということもあってか、係員が丁寧に概要を説明してくれる。
展示品は、朴烈だけではなく文子のものもかなりある。パネルと映像が中心だが、説明に日本語が併記されているので、一つ一つ読み進んで行くと文子の生い立ちや時代背景などがよく分かる。

両親の離婚により親戚の間を転々とし、9歳の時には海を渡って朝鮮の親戚の養女となった。つらい生活の中で自殺を図ろうともした。幸せとは無縁の少女時代だった。
16歳の春、文子の人生に転機となる出来事が起こる。1919年3月1日、半島を席巻した烈火の独立運動だ。7年暮らした芙江面(現・世宗特別自治市)で独立運動を目撃し、衝撃を受ける。多感な少女は、亡国の民と自らの薄幸の境遇を重ね合わせてみる。文子の運命の歯車が大きく回転し始める。

その後、上京して働きながらアナキズムやブナロード運動などに関心を示し、傾倒していく。同時にこの頃、多くの朝鮮人活動家と知り合い、交流を深める。その中に1歳年上の朴烈がいた。朴烈は聞慶出身のアナキストであり、若き独立運動家であった――。

展示を見終えた後、記念館の敷地内にある文子の墓に行ってみる。
「金子文子女史之墓」
そう刻まれた墓碑銘を夏の日差しが照りつけ、その周囲を赤とんぼが飛び交っている。
日本で生まれ、日本で死んだ日本人女性の墓がこんなところに……。愛した男の国の土となって、まるで男の帰りを待っているかのようだ。墓前に立って、その波乱の生涯に思いを馳せてみる。

時代に受容されることのない生き方だった。しかし、信じた一筋の道と、ひたむきな愛に命を捧げた女の一生だった。
文子が逝って、間もなく90年目の7月23日がやってくる。(7月19日訪問)

口コミ投稿 by Kosetsuさん

お店データ

店名 朴烈義士記念館
電話番号 054-572-3396
営業時間 (3~10月)9:00~18:00(最終受付17:30)、(11~2月)9:00~17:00(最終受付16:30)
休業日 月曜、1月1日、旧正月・秋夕(チュソク)の当日
日本語 不可
関連サイト www.parkyeol.com
  • 無料
  • 散策
  • 夜景・ムード
  • 文化財
  • 世界遺産
  • ファミリー

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地図・アクセス

慶尚北道 聞慶市 麻城面 セムコルキル 44
(경상북도 문경시 마성면 샘골길 44)
[地番住所]
慶尚北道 聞慶市 麻城面 梧泉里 95
(경상북도 문경시 마성면 오천리 95)

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ユーザー口コミ

5.0
(1件)
聞慶の地に眠る日本人女性。
Kosetsuさん
聞慶セジェと五味子で知られるのどかな地方都市・聞慶。その山裾に、ある日本人女性の墓標がある。明治、大正時代を数奇な運命に翻弄されながら、駆け抜けるように生き急いだ女性。名前を金子文子(1903年1月25日~1926年7月23日)という。

関東大震災が発災した翌々日の1923年9月3日、文子は内縁の夫・朴烈とともに治安警察法により予防検束される。大審院における判決は、大逆罪により死刑(後、無期に減刑)。
獄中生活を送っていた1926年7月23日、収監中の宇都宮刑務所栃木支所で獄死する。23年6カ月の短い生涯だった。

ソウルからバスで約2時間。聞慶共用バスターミナルでバスを降り、金子文子の墓がある「朴烈義士記念館」に向かう。

山の麓に建つ記念館は、想像以上に立派な建物だ。受付で芳名録に記名した後、見学者が自分一人ということもあってか、係員が丁寧に概要を説明してくれる。
展示品は、朴烈だけではなく文子のものもかなりある。パネルと映像が中心だが、説明に日本語が併記されているので、一つ一つ読み進んで行くと文子の生い立ちや時代背景などがよく分かる。

両親の離婚により親戚の間を転々とし、9歳の時には海を渡って朝鮮の親戚の養女となった。つらい生活の中で自殺を図ろうともした。幸せとは無縁の少女時代だった。
16歳の春、文子の人生に転機となる出来事が起こる。1919年3月1日、半島を席巻した烈火の独立運動だ。7年暮らした芙江面(現・世宗特別自治市)で独立運動を目撃し、衝撃を受ける。多感な少女は、亡国の民と自らの薄幸の境遇を重ね合わせてみる。文子の運命の歯車が大きく回転し始める。

その後、上京して働きながらアナキズムやブナロード運動などに関心を示し、傾倒していく。同時にこの頃、多くの朝鮮人活動家と知り合い、交流を深める。その中に1歳年上の朴烈がいた。朴烈は聞慶出身のアナキストであり、若き独立運動家であった――。

展示を見終えた後、記念館の敷地内にある文子の墓に行ってみる。
「金子文子女史之墓」
そう刻まれた墓碑銘を夏の日差しが照りつけ、その周囲を赤とんぼが飛び交っている。
日本で生まれ、日本で死んだ日本人女性の墓がこんなところに……。愛した男の国の土となって、まるで男の帰りを待っているかのようだ。墓前に立って、その波乱の生涯に思いを馳せてみる。

時代に受容されることのない生き方だった。しかし、信じた一筋の道と、ひたむきな愛に命を捧げた女の一生だった。
文子が逝って、間もなく90年目の7月23日がやってくる。(7月19日訪問)
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