5日午前(日本時間)、平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック(五輪)誘致委の状況室が設置されたグアテマラシティーの‘ホリデーイン’ホテルへ入った盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は口数が少なかった。権良淑(クォン・ヤンスク)夫人と一緒に宿舎でテレビを通じて開催地の発表を聞いた後だった。
盧大統領はホテル前に集まった300人余の江原道民サポーターズや同胞2世の子供たちの手を握りながら慰める瞬間も、感情を抑えようとぎこちない笑みを見せた。 韓昇洙(ハン・スンス)誘致委員長、金正吉(キム・ジョンギル)韓国オリンピック委員会(KOC)委員長に対する言葉も「ご苦労さまでした」がすべてだった。 一緒に関係者を励ましていた権夫人はハンカチで涙を拭いた。
ソチのプーチン・ロシア大統領が勝者なら、平昌(ピョンチャン)の盧大統領は敗者でしかない。 グアテマラシティー現地で行われた2014年冬季五輪誘致競争は、韓国・ロシア・オーストリアの首脳らが現場で陣頭指揮する‘外交三国志’の様相を呈していたからだ。
グアテマラに到着してから2泊3日間、盧大統領はまさに平昌誘致に向けて‘オールイン’した。 IOC委員らの宿舎であるインターコンチネンタルホテルの客室814号をベースキャンプとし、20分間隔でIOC委員に会った。 時間を惜しんでサンドイッチやラーメンで食事を済ませ、朝から深夜12時まで得票活動を繰り広げた。 このようにマンツーマンで会って説得したIOC委員だけでも30人にのぼる。
グアテマラへ向けて出国する前、全体IOC委員に手紙を送った盧大統領は、投票日の朝にもIOC委員らが宿泊する部屋に親書を伝えた。 投票直前の最終プレゼンテーションでは「2014年平昌冬季五輪ではボランティアメンバーとして参加する」とも話した。 青瓦台(チョンワデ、大統領府)関係者は「まるで自分の選挙運動をしているようだった」と語った。
しかしこうした努力は実らなかった。 「大統領になるまで選挙を7回もした」(2日、通信社合同インタビュー)と話した盧大統領だが、冷酷な力の原理が作用する‘国際外交戦’では敗れた。 それだけに敗北の痛みも大きい。 そのためか政府の公式立場は「皆が自分の領域で最善を尽くした。残念だ。国民の皆様に心から感謝している」という千皓宣(チョン・ホソン)青瓦台報道官の論評がすべてだった。
グアテマラシティー=朴承煕(パク・スンヒ)記者