韓国旅行「コネスト」 ?パク・ヨンハ、差し押さえと戦った涙の7年間。韓国の芸能ニュース
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<酔中トーク>?パク・ヨンハ、差し押さえと戦った涙の7年間

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▽パク・ヨンハの現在座標は曖昧模糊

−−パク・ヨンハの現在の座標はどこか。このドラマを通じて何を得たいのか。

「実際、自分の位置はあいまいそのものだと思う。人気絶頂を享受しながら、日本に行ったわけでもなく、かといって日本で期待以下ということでもなく…。ただ、ある瞬間に蒸発したような感じというのが正確な表現だと思う。韓国でどんどん忘れられていたところに、また出ていくという感じ。実際、僕は自分に厳しい人間で、緩やかな下降曲線を再び上昇に押し上げるのが今回のミッションだと考えている。 あまりにも率直に話したかな?」

−−人々に望むパク・ヨンハのイメージとは?

「それは一つ。 ‘何か面白そうな人だ’という言葉が聞きたい。 ‘かっこよさそう’よりも‘面白そうな人’という表現がいい。 久しぶりに復帰するが、無理に格好を気にしたくはないし、センセーションを呼び起こしたいとも思わない」

−−この4年間に韓国での活動を試みたことは?

「日本で発売したアルバム作業のスケジュールと巡回公演の日程を避けてみたところ、韓国ドラマ・映画の出演はすべて上手くいかなかった。 能力が足りない自分に二兎を追うのはやはり無理だった」(笑い)

−−パク・ヨンハが日本でアピールできた本当の理由は何だと考えているか。

「うーん…『冬のソナタ』が大ヒットした後、ペ・ヨンジュン先輩に続いて2番目に日本に足を踏み入れたプレミアムもあったし、ヨンジュン先輩とは何か違った形でいこうという戦略が的中したようだ。サントラ盤を持って歌手として‘ソフトランディング’したのが差別化だったのではないだろうか。 ‘あれ、韓国の俳優が歌も歌っている’というような好奇心もあったのでしょう」

−−自分が‘過大包装’されているという不安はなかったか。

「正直言ってそれが最も心配だった。 日本では実力よりも名前のほうが常に先を走っていた。 ‘韓国代表歌手’‘ライブが魅力の韓国歌手’などの修飾語のため、正直言って負担だったし、気持ちが落ち着かなかった。それでインタビューがある度に短い日本語でこうした修飾語をみんな否定していた。 毎回、韓国には自分よりも実力のある歌手が大勢いると強調していた。そう言うと今度は謙遜するパク・ヨンハなどと言われて…。 そうではないのにと思いながら何度も同じようなことが・・・」(笑い)

−−称賛はいつ聞いても気分の良い潤滑油では?

「そうではあっても、自分が韓国芸能人の基準になるということがあたかも大衆を欺いているようで気にかかっていた。 称賛を発展の原動力や促進剤にすることもできるだろうが、それに幻惑されたり自惚れたりしてしまうのがいつも怖かった」

−−日本語の実力はどの程度か。

「日本を何度か行き来しているうちに、日本語の必要性を深く感じるようになった。通訳を通して自分の考えが正確に伝えられているかも気になったし、もしかして周りの人たちが自分のことをひどく言っているのではないかという心配もあった。それで聖水(ソンス)大橋の交差点にある語学学校の朝のクラスに通い始め、初級段階から勉強した。 ‘喉が渇いてから井戸を掘る’という言葉がまさにそれだ。 初めて勉強が面白いと思った。 今はフリートーキングで30分以上対話できるレベルだ」

▽‘銭の戦争’は自分の話だった

−−日本では宿舎が別にあったのか。

「長期公演する時は3カ月間マンションを賃貸して使っていたが、1週間ほどの場合は主にホテルを利用していた。写真撮影が唯一の趣味なので、日本のスタッフとあちこち回りながら写真を撮った。地下鉄やバスも何度も乗っていたが、思っていたより人には気づかれなかった。 個人的に最も良かったところは札幌だった。東京都内の六本木にある居酒屋にもよく行った」

−−コリアンタウンがある赤坂のほうには行かなかったのか。

「真面目なことに、韓国女性が働いている酒場には一度も行かなかった。普通、韓国芸能人が日本に行けば必須コースのようになっているが、些細なスキャンダルに巻き込まれるのはよそうと自分に誓った。スロットマシンもしなかった。 電子ゲームを除いて、自分にはあまりにもそういうものに素質がない。花札もできず、カードゲームでもいつもルールを忘れる。 唯一の趣味が写真と玉突き(150点)だ」

−−日本でロマンスはなかったか。

「不幸にもなかった(笑い)。その代わり韓国では一般の人々のように映画も見て、酒も飲んで、恋愛もした。 最後に交際した女性とは2年前に別れ、その後はずっと一人だ」

−−芸能人の中でベストフレンドは?

「ソ・ジソプ。 21歳とき、インターネットカフェでインスタントラーメンを食べながら築いた友情が今でも続いている。僕は滄川洞(チャンチョンドン)、ジソプは大方洞(テバンドン)で月30万ウォンの部屋に住んでいたが、夢をあきらめなかった。アンドレ・キム・ファッションショーで会って親しくなったが、数日前にも一緒に焼酎を飲んだ。 パク・クァンヒョンも呼べば来てくれる友人だ」

−−目に見えないライバル意識はないのか。

「そういうものはないが、お互い自分が持っていない部分は羨ましく思っている。日本で活動しながら最も夢中になって見たドラマが『ごめん、愛している』だった。俳優として一度出会うかどうかというキャラクターをジソプが本当にうまくやり遂げた。 それを見てジソプに電話をし、‘お前はいいなあ、今のその熱情をいつまでも忘れるな’と話したことを覚えている。当時、日本公演を控えて、意味のない自己恥辱感から‘自分は今ここで何をしているんだろうか’と悩んだこともある。舞台とファン、自分の歌があったが、自分でも何かよく分からない虚無感を感じていた時だった」

パク・ヨンハは最も尊敬する人に父を選んだ。ソン・チャンシク、ヤン・ヒウン、チョン・スラなど70−80年代の歌手のマネジャーだった父は、国内では初めて大学公演などのイベントを手掛けた企画者だった。 しかし経済危機を迎えた96年、父が親せきの負債の保証人になっていたことで家に差し押さえの紙が貼られた。当時、パク・ヨンハのわずかな収入もすべて差し押さえられ、家族はばらばらに暮らすことになった。 パク・ヨンハが20歳になった年だった。

−−その頃から独り暮らしをすることになったのか。

「仕方なく独立することになり、その後、父は何度か再起を図ったが、いつもだめだった。結局は‘信用不良者’になり、姉も大学院での勉強をあきらめた。 一瞬にして‘落伍者’になった父の後ろ姿があの時ほど寂しく見えたことはなかった。7年以上も保証保険会社との債権債務関係に悩まされ、日本に進出する直前の03年、元利金をすべて返すことができた」

−−ドラマ「銭の戦争」には特別の思いがあったのでは。

「ドラマを見ながら自分の家のことを何度も考えた。 金融業者のため苦しむ主人公を見ながら応援していた(笑い)。債権、取り立てなどの言葉を聞く度にはっとする」

日刊スポーツ(IS)
COPYRIGHTⓒ 中央日報日本語版  2008年01月17日 15:53
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