ソウルから 地下鉄1号線で西へ向かうこと約1時間。終点の 仁川(インチョン)駅の駅前に広がる中華街は「仁川チャイナタウン」とよばれ、同地発祥とされる韓国式の ジャージャー麺(チャジャンミョン)などの中華料理店や、中国のお菓子や衣装を売る店が約300メートル四方に集まっています。
朝鮮時代末期に開国して以来、140年以上の歴史を持つ仁川の中華街は、赤く華やかな中国式の飾り付けも進み、異国的な街としてソウルからの日帰り旅行先に人気で、週末のランチタイムはどのお店の前にも行列ができるほどの混雑ぶり。韓国映画や韓国ドラマの撮影ロケ地に選ばれることもあります。
仁川中華街の誕生と歴史
1875年に起きた「江華島(カンファド)事件」の結果、翌1876年に日本の明治政府と、朝鮮王朝の間で結ばれた「日朝修好条規(江華条約)」によって1883年に仁川が開港。日本からはもちろん、中国(当時は清)の本土からも多くの人が移住してきたのがはじまりです。
翌年に清国の領事館と5,000坪の租界地が仁川港の近くに設けられて、貿易を主な産業とした街として発展しました。
その後、太平洋戦争で日本と中国が戦ったり、朝鮮戦争で中国が朝鮮民主主義人民共和国(通称:北朝鮮)側に参戦したりしたあおりを受けて、仁川在住の華僑が減少。
1992年に韓中が国交回復すると親中ムードが起こり、街の文化価値が見直されて観光開発が加速。ソウルから近いこともあって観光客が増えると、すぐに活気を取り戻し、現在の仁川中華街の人気へと繋がります。
仁川はジャージャー麺の発祥の地?
ジャージャー麺
韓国のジャージャー麺は、中国北部の炒醤という肉味噌ダレを使った家庭料理「炒醤麺(ジャージャンミェン)」が変化した料理だと伝えられています。
開港を機に、仁川へと働きに来た現在の中国・山東省出身者らが夜食などで食べていた炒醤麺の評判が、仁川の韓国人労働者にも広まるなかで、春醤(チュンジャン)と呼ばれる黒いタレに、仁川では独自に甘いカラメルが加わりました。
1905年から1980年頃まで営業していた、かつての「共和春(コンファチュン)」が「甘い炒醤麺」を、韓国式の発音「チャジャンミョン」の名前で売り出して以降、庶民的な中華料理の代表的なメニューとして韓国全土に広まっていった、とされています。
「仁川チャイナタウン」は、仁川駅の目の前にあるエキチカの中華街です。1号線で訪問する場合は1番出口を出ると正面に赤い門が見えます。水仁(スイン)・盆唐(ブンダン)線で訪問する際は3番出口を利用すれば、すぐです。
仁川という地名を聞くと、韓国の空の玄関「 仁川国際空港」から近いように感じますが、地名が同じなだけで仁川空港からは電車やバスで1時間以上かかります。
ソウルからも仁川駅行きの各駅列車で終点までは1時間程度を見ておきましょう。なお、地下鉄1号線には、東仁川(トンインチョン)駅行きの急行列車の運行があり、東仁川駅で仁川駅行きの各駅列車に乗り換えれば、少し早く到着できます。
仁川駅到着
仁川駅の駅舎は、1899年に京城(キョンソン・現在のソウル)と、仁川を結ぶ鉄道・京仁(キョンイン)線の開通と同時に開業した駅舎で、韓国鉄道発祥の地として100年以上の歴史を有します。
1872年に開通した日本の横浜~品川間の鉄道と同じく、港と首都を結ぶ鉄道という経緯が似ているのも興味深い点です。
仁川駅1番出口
観光案内所
その後、朝鮮戦争の際に駅舎が消失し、1960年に現在の駅舎が建てられました。1番出口すぐ隣に観光案内所があり、地図・パンフレットなども手に入ります。
中華街入口
第1牌楼・中華門
正面に見える赤い門を進めば、チャイナタウンのエリア内に入ります。
この門は「第1牌楼(はいろう・パイロウ)」と呼ばれ、高さ約10mの大門。上部中央に中国風の赤い漢字で「中華街」と右から横書きされています。
牌楼は全部で4か所ありますが、この第1牌楼と、「仁川自由公園」の入口にある第3牌楼が観光客のルート上にある、お馴染みの門です。
中華街の周り方
ゆるやかな坂道
中華門をくぐると早速、店名が漢字で書かれた中華料理店やカフェ、中国の衣装やおもちゃなどの土産物店が連なる上り坂が伸びています。
坂道は約200メートル続きますが、右側にある「北城洞(プッソンドン)行政福祉センター」など行政の建物まで中華風の外観になっているのに驚かされます。
北城洞 行政福祉センター
黄金の龍が
三つ又
共和春
ゆるやかな坂道を登っていくと、「共和春(コンファチュン)」、「清館(チョングァン)」、「燕京(ヨンギョン)」の3つの大きな建物が並ぶ三つ又に到着。
いずれも歴史ある中華料理店で、昔ながらのジャージャー麺や チャンポン、酢豚はもちろん、本格中華コースも味わえます。
3店舗とも、とても有名で、特に週末はランチタイムのピークタイムを過ぎても行列が途切れることはないほど人気です。
三つ又で左折(北側へ)
義善堂
「燕京」の建物を右に見ながら更に進んでいくと、左側には19世紀末ごろ建てられた韓国唯一の中国祠堂で、華僑の精神的な安息所として知られる「義善堂(ウィソンダン)」があります。
そこから更に進むと、童話の世界に飛び込んだかのようなインスタ映えスポット「 松月堂(ソンウォルドン)童話村」に到着。あわせて訪問する人も少なくありません。
紫禁城などが描かれた階段
「燕京」の建物で右折すると、古代中国の鳥獣画や紫禁城の絵が描かれた階段があり、登っていくと「 仁川自由公園」の入口に到着。
中国古代の項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)の戦いを描いた楚漢戦争の壁画も公園入口付近にずらりと並びます。
- 松月洞童話村
- 童話の世界に潜りこむ!?仁川で人気のフォトスポット
- 仁川 > 仁川市街地
- 仁川自由公園
- 仁川チャイナタウンに隣接する韓国最古の西洋式公園
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三つ又で右折(南側へ)
ジャージャー麺などを売る中華料理店などが約200メートルにわたって軒を連ねる通称「ジャージャー麺通り」で、中華街のハイライトです。通りの両側には中国語で書かれた赤い看板が目立ち、店先で観光客相手にパフォーマンスを見せる店舗も。
中国風の服やくつの販売店、中国菓子を売る「 十里香」などの店が続いています。一帯で最もにぎやかで、週末は歩行者天国になります。
ジャージャー麺博物館(旧・共和春の建物)
周辺には、韓国式ジャージャー麺を商品化した中華料理店「旧・共和春(コンファチュン)」の建物があります。1980年代に閉店した「共和春」は、仁川市が建物を補修し「 ジャージャー麺博物館」としてリニューアルオープンしました。
※三つ又にある現在の「共和春」は、「かつての共和春」で働いたシェフから聞き教わったレシピを元に、新たな経営者が約6年の月日をかけて再興した店舗なので、それぞれ「旧・共和春」「新・共和春」などと呼ばれたりもします。
また、劉備(りゅうび)、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)らの活躍でお馴染みの中国の三国志のストーリーを描いた壁画も近くにあり、三国志の160の名場面のタイル画が、150メートルにわたって続きます。
「桃園の誓い」
関羽将軍は「商売の神様」ともされている
日本語での説明はありませんが、三国志ファンなら絵を見れば、どの場面の絵なのかきっと分かることでしょう。
- 十里香
- 仁川チャイナタウンで評判のオリジナル中華まんじゅう「オンギビョン」の店。月餅も人気。
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南側のその他の施設
「清国領事館会議庁・仁川華僑学校」
清国領事館の会議庁だった建物。今は仁川市華僑協会の事務所になっています。
「韓中文化館」
4階建ての展示館です。無料で中国衣装を試着して撮影できるコーナーもあります。
「韓中園」
中華風の壁や庭、東屋が整備された庭園で、歩き疲れたとき休むのにいいでしょう。
周辺スポット
日中の境界線「清日租界地境界階段」
赤い線の西側が清の租界地。東側が日本の租界地。
かつての清と日本の租界地の境界を示した階段があります。階段は孔子の石像まで約100メートル続き、西側に中国式、東側に日本式の石灯籠が並んでいる独特の構造です。
この階段を境にして西側はチャイナタウンが、東側には日本人街が形成されています。かつての日本の領事館や銀行、海運関連の建物が保存整備され、一部は博物館になっているほか、日本の当時の店舗や民家を再現した建物が多く、カフェやレストランなどになっているので、あわせて訪問してみませんか?
「清日租界地境界階段」
左右で灯篭の形式が異なる
階段の上には古代中国の孔子の石像
仁川アートプラットフォーム
仁川アートプラットフォーム
「仁川アートプラットフォーム」は、旧・日本人街の赤煉瓦の近代建造物をリニューアルした文化・芸術空間で、韓国ドラマやテレビコマーシャル、ミュージックビデオなどの撮影地としても知られます。
中華街訪問の前後に
仁川駅のすぐ隣から発着している月尾海列車(ウォルミパダヨルチャ)と呼ばれるミニモノレールに乗車すれば、仁川の海やミニ遊園地が楽しめる「 月尾島(ウォルミド)」までアクセスできます。
また中華街から東へ、日本人街を抜けていくと、 タッカンジョンなどで有名な「 新浦(シンポ)市場」に到着。仁川で有名な市場で、市場グルメの宝庫に立ち寄ってから、東仁川(トンインチョン)駅へと移動するのも良いでしょう。
「仁川チャイナタウン」訪問の際は周辺スポットとあわせて、丸1日かけて仁川観光を楽しんでみませんか?
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