File3.人の行先が「みえる」路地 城北区 彌阿里占星村
城北区(ソンブック)東仙洞(トンソンドン)、敦岩洞(トンアムドン)から吉音洞(キルムドン)方向へ長い坂道が続く。これら行政区画名を聞いてぴんと来る人は少ないが、「彌阿里(ミアリ)」という通称を出すと、多くの韓国人はあるものを連想するという。4号線誠信女大入口(ソンシンヨデイック)駅からほど近くの路地脇に軒を連ねる占い館が、まさにそれだ。ソウル東部に隠れるスピリチュアルスポット、「彌阿里占星村(チョンソンチョン)」を訪ねた。
路地の記憶
気が満ちる「境界」の街
彌阿里は「境界」の街だ。一説には「彌阿=冥土に行くと現世に戻ってこられない」という意味の仏教用語が地名の由来とされる。界隈には古くより彌阿寺という寺院があり、1950年代までは共同墓地も有する、生と死の線が引かれる場所であった。
また街の中心を貫く彌阿里峠キル(道)を上ると、ソウル北隣の議政府(ウィジョンブ)や抱川(ポチョン)、さらには北朝鮮へと続く。峠はかつて都城と他地域とを分けた関門であり、朝鮮戦争で北軍がソウルを占領した際は、北へ連行される市民たちが家族と涙の別れを果たした場所だ。
生死、離別、恨(ハン)…そこには多くの感情がもたらす気が溢れており、西側に望む北岳山(プガッサン)が、それらを静かに見守っていた。
100余軒の占い館が彌阿里へ
都市開発の機運が高まり始めた1960年代。交通事情が悪かった彌阿里峠も、大々的な拡張工事の対象となった。彌阿里に「占星村=占い師が集まる界隈」という新しい枕詞が与えられるきっかけだ。道路を立体的に交差させるため、陸橋ができる。その脇に、かつて路上などで活動していた易者たちが居を構え始めたのだ。
住環境は良好とはいえなかったが、地価は安い。またガード脇で人目につきにくい路地は、占いに訪れる人にも好都合だ。加えて、独特の気を放つ土地。60年代後半にイ・ドビョンという人物が「鉄原哲学館」を開設。
以来、占い師たちが次々に移住し、80年代にもなると路地の隅まで占い館の看板が掲げられた。その数実に100余軒。「村」という呼び名も、決して大袈裟ではないほどだった。
物事の行先は「みえる」 視覚障害者の生業
巫堂(ムーダン)のようなものから手相、タロットまで。一口に占いといっても様々だが、占星村の占い師には一定の傾向が見られる。それは古代中国の哲学である易学を根拠とした、六爻(ユッキョ)、四柱推命、姓名判断などが専門である点。また、担い手が視覚障害者であるということだ。
遡ると、占いは古くより視覚障害者の生業の一つ。高麗・朝鮮時代には、一定の地位を与えられた者も少なくない。彼らは同業者団体を作り、占いが「迷信」と排除された植民地支配期をくぐりぬけながら紐帯を維持してきた。
占星村の占い師たちも、実は多くがそんな流れを汲む団体の一つ「大韓盲人易理学会」の構成員。伝統社会からの命脈を継いだ者であった。
用語解説
・六爻:筮竹(ぜいちく。刻みが入った細い棒)などの道具を用い、未来のあらゆる事象の吉凶を判断する占い。
・四柱推命:韓国語ではサジュ(四柱)。生まれた年・月・日・時間を、干支と五行(オヘン、東洋哲学で万物を形成するとされる5つの元素)に照らして運命を鑑定する占い。
・姓名判断:韓国語では作名(チャンミョン)。姓名から性格や運命などに解釈を与え、命名などを行なう。
揺れる占星村の現在
現在、一帯にある占い館は30軒前後。長年営業を続ける者、新たに看板を出す者もいるが、最盛期に比べると経営者も訪れる人も減った。「占星村も時代に合わせて変わらねば」。先の学会を母体とする「城北視覚障害者福祉館」の職員、カン・テボン氏はこう語る。
占星村の問題を、視覚障害者の占い業全体に見られる「教育」「広報」の不足と絡めて改善をはかろうと奮闘する。師弟関係でのみ伝授されてきた易学だが、多くの若手を育成する講座を開設。占い師の情報をネット上で公開するサービス(www.sorisaju.co.jp)も開始した。
玉石混交の占い業界において、「易学とは学問」という姿勢で占星村の位置づけを試みながら、一帯の保存・保護を願うが、可視化された成果はまだ現れていない。
路地を歩く
位置
地下鉄4号線誠信女大入口駅7番出口を約250m直進。大通り両脇に占い館が連なる。路地の中にも点在(詳細地図)。

1.占星村の看板
路地が始まる目印となる。

2.ホン・スソン作名所
次頁で登場する占い館。六爻と四柱推命各5万ウォン、作名10万ウォン程度。
3.城北視覚障害者福祉館
占い館が最も密集する一帯の裏。易学・按摩などの教育活動ほか、視覚障害者の自立生活を支援する活動を行なう。

4.福祉館 経絡治療センター
福祉館1階に位置。専門の按摩教育を受けた視覚障害者による廉価なマッサージが評判。9:00~18:00/日・祝休/60分35,000ウォン。

5.鉄原哲学館
界隈に最初に定住したといわれる、イ・ドビョン氏の営む占い館。屋号の「鉄原」は、峠から60km北にある彼の故郷
風景カット

中心が彌阿里峠キル。北側は再開発が盛ん

哲学館(철학관)・哲学院(철학원)は定番の屋号。占いの種類も多様。

扉が常に少し開いている店も散見

点字で作られた漢字辞典