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ソウルの老舗・韓国料理店めぐり

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韓国の食堂やカフェは閉店・開店の回転スピードが速く、気に入ったお店を見つけても次の韓国旅行で訪問した時には閉店していた…という経験を持つ方も多いのではないでしょうか?そんなお店の入れ替わりが激しい韓国において10年、20年にわたって営業が続いていたら、店主の並々ならぬ努力がうかがい知れます。

現在に至るソウルの老舗店は1900年代からスタート。宮殿がある「ソウル城郭」内側エリアから「館(관・グァン)」「家(가・ガ)」「屋(옥・オッ)」の文字が付いた店舗が増えていったため、老舗と呼ばれるほとんどのお店が市内中心部に集まっていますが、1950年~53年に起きた朝鮮戦争の際に、ソウル市内も大きな被害が出たため、50年以前にオープンしたお店で現在も残っているお店は、とても希少価値が高い店舗と言えるでしょう。

一方、ソウルを東西に流れる大河「漢江(ハンガン)」の南・江南(カンナム)と呼ばれるエリアは、1970年代から本格的に都市開発が始まったエリアなので、60年代以前開業のお店はほとんどなく、70~80年代から営業を続けているお店が現在も残っています。

改装や移転をしたり、家族や知人らにお店を託しながら2代・3代と末長く営業を続けるレトロなお店を、国や市が公式に認定する動きがあり、以下の2つが有名です。
「ソウル未来遺産(서울미래유산・ソウルミレユサン)」
「ソウル未来遺産」のプレート
「ソウル未来遺産」のプレート
国や市の文化財には登録されていない、ソウル市の近現代文化遺産を次世代にも残すべく、100年後に宝物になるとされたもので、ソウル市が選定・管理しています。

飲食店やショップ、建物、通りなど有形・無形さまざまな物が対象になっています。
「百年店舗(ペンニョンカゲ)」
「百年店舗」のプレート
「百年店舗」のプレート
国の「中小ベンチャー企業部」と「小商工人市場振興公団」が実施・評価・支援するプログラムで、30年以上営業を続けてきた全国の店舗が申請できる資格を有し、優れている点・今後の成長可能性などの審査を経て選定されます。
老舗グルメ店リスト
ここではソウル市の老舗・韓国料理店に限定して古い順に紹介します。
※記載する年数は創業年。「ソウル未来遺産」「百年店舗」などに記載されているものに準じます。
1904年
里門(イムン)ソルロンタン
朝鮮時代の末期、1897年から1910年まで「大韓帝国」と呼ばれる時期に開業した創業100年を超えるソルロンタン専門店です。日本の旅行雑誌などでも頻繁に紹介されている有名店で、16~17時間煮込んだ牛骨スープはさっぱりしていながら味に深みがあると好評です。

ソルロンタンは、豊作を祈願した「先農祭(ソンノンジェ)」の際に、参加者に出された牛骨鍋にご飯を入れた食事がルーツと伝えられています。1910年に朝鮮時代が終わりを迎え「先農祭」が廃止されると、市内各地で牛骨スープが庶民料理として広がり、現在のソルロンタンへと繋がっていきます。

1904年に洪(ホン)氏が「先農祭」で振舞われていた料理を庶民に提供すべく「里門屋(イムノッ)」という店名で開業したのがはじまりです。2011年に現在の「セントロポリスモール」再開発のため移転し、現在は3代目と、その息子の4代目が伝統の味を守り続けています。
1932年
ウノ食堂
キム・ウニム氏が「南大門市場」でヘジャングッ店を始めた小さな食堂で、当時は「平和屋(ピョンファオッ)」という名前でした。

美味しさが評判を呼び、徐々に公務員らの利用も増えてきたある日、公務員から接待用の高級メニューをリクエストされ、新しく開発したのが牛テールスープの「コリコムタン」です。これが大ヒットし、以降コリコムタンの名店として名を馳せていくことになります。

1950年代の朝鮮戦争の際には一時的に、釜山(プサン)へ避難し、状況が落ち着いてから、現在の位置に戻ってきてお店が再開しました。
1970年代に高齢のためお店を開くことが難しくなる中、いつもお店を手伝ってくれて、娘のように可愛がっていたイ・ミョンスン氏夫婦にお店を任せたいと相談したところ夫婦が承諾。その後、現在の「ウノ食堂」に店名が変わり、1997年から夫婦の息子が経営を引き継ぎ、現在は孫が4代目として店舗を切り盛りしています。
1932年
湧金屋(ヨングモッ)
1926年創業の「兄弟チュタン(閉店)」と、1933年創業の「コムボチュタン(閉店)」と共に、ソウル3大チュオタン店と呼ばれた店舗で、3店舗の中で唯一、現在も営業が続いています。

ソウル式のチュオタンは当時「チュタン」と呼ばれ、どじょうはすり潰すことなく丸ごと入っていて、スープは牛骨などからとった出汁をベースに、味噌を使わないのが特徴で、味はユッケジャン(牛肉のピリ辛スープ)に似ています。
1933年
チェムベオッ
市庁(シチョン)駅の路地裏にある歴史ある食堂で、ソルロンタンを基本にし、トガニタンやコリコムタン、スユッ(茹で豚)などが味わえます。古くから一帯には官公庁や新聞社などが多く、料理の味には手厳しい客たちをも唸らせてきました。

南大門」の近くに紫(チャ)色の岩(パウィ)があった場所にお店が建てられ、次第に「チャムバウィ」「チェムベ」と呼び方が変わっていき、「チェムベ」に「屋(オッ)」が付いた店名が現在まで続いています。
1937年
清進屋(チョンジノッ)
現在の光化門(クァンファムン)駅と鐘閣(チョンガッ)駅の間は、以前から「清進洞(チョンジンドン)」と呼ばれる地名で、地名が店舗名に採用されました。

当時この辺りにあった市場の屋台で女性店主が、小さな釜でクッパを売っていたのが始まりと伝えれ、ソウルの北部の峠を越えて来た人たちを、お腹いっぱいにさせてきました。

ソウル都心部にある場所柄、民主化運動や各集会の参加者たちが、政治の話に花を咲かせてきた食堂でもあり、ソウルの市民運動の歴史が刻まれてきた場所でもあります。
再開発の影響を受け移転を繰り返しながらも、初代の祖母、2代目の父の味を引き継いで、3代目の社長が、より長い時間お客様に愛されるようにと、24時間営業店舗として営業しています。
1937年
朝鮮屋(チョソノッ)
ソウル都心部の乙支路(ウルチロ)の路地に位置する牛カルビ焼肉店として名を馳せてきました。

1940年代以降、近くにプルコギ店は多くできたものの、牛カルビ店はほとんどなく、60年代の復興・70年代に経済発展の時期には、特別な日は朝鮮屋の牛カルビを食べに行くソウル市民らで連日にぎわったと伝えられています。

2017年にリフォームして、1階では従来のメニューが、シックでモダンな2階では落ち着いた雰囲気の中、コース料理がゆったりと味わえます。
1939年
韓一館(ハニルグァン)
1939年に鐘路(チョンノ)でクッパや、チュオタンなどを提供する「花仙屋(ファソノッ)」という店名で始まりました。1945年に現在の「韓一館」に店名を変更し、プルコギの販売を開始。

朝鮮戦争の際は釜山へと避難して営業を続け、53年に再びソウルに復帰。2008年に鐘路から現在の狎鴎亭(アックジョン)へと移転した後、各地に支店を展開するチェーン店になりました。

プルコギのコース料理が有名で、大統領をはじめとした政財界の著名人たちも多数訪問。企業の会食や、家族の誕生日祝いなど多くの人たちに親しまれています。
1939年
河東館(ハドングァン)
清渓川(チョンゲチョン)」沿いの水下洞(スハドン)で1939年に開業し、コムタンの有名店として名を馳せ、歴代大統領も直接訪問したりもしました。

同じ場所で約70年間営業していましたが、一帯の再開発計画によって、2007年に繁華街の明洞(ミョンドン)の現在の位置に移転しました。

2018年の火事によって一時的に営業中断しましたが、2019年にリニューアルオープンして、現在も明洞を訪問する観光客にも親しまれています。
1940年代
1945年に第2次世界大戦が終結し、朝鮮半島における日本の統治が終わります。同時に、北緯38度を境にして、南にはアメリカ軍が、北にはソ連軍が駐留して分断の歴史が始まり、南には大韓民国が、北には朝鮮民主主義人民共和国(通称・北朝鮮)が成立しました。そんな時代にオープンした有名店はこちら。
1950年代
「戦争記念館」のパネルより
「戦争記念館」のパネルより
1950年6月25日に北朝鮮が38度線を越えて勃発したのが朝鮮戦争です。戦争は1953年まで3年間続き、南北共に各地に被害が続出し、ソウルの店主たちは釜山へと避難し、後にソウルに戻って来て営業再開させたお店もありますが、ほとんどが閉店をよぎなくされました。

そのため、朝鮮戦争の難局を乗り越えた一部のお店を除いて、現在へと繋がる老舗店のほとんどが、戦争後の53年以降のオープンとなります。

戦時中・戦後ともに米不足となり、米の代わりに米軍によって大量に運ばれてきたのが小麦粉です。

余った小麦粉を活用してチヂミマンドゥカルグクストッポッキなどの店舗が増え始め、小麦粉を使って釜山ではミルミョンが、大邱(テグ)ではナッチャッマンドゥなども誕生しました。同じく、米軍から流れて来たスパムやソーセージをチゲに入れたプデチゲも、この頃から登場しました。

また、戦争の混乱の中、北から避難して来たものの、その後、故郷へ戻ることが出来なくなった人たちによって北朝鮮式のチョッパルや、平壌(ピョンヤン)や咸興(ハムン)といった北の地名が付いた冷麺(ネンミョン)店などが、50年代から60年代にかけて徐々に開業していくようになります。
1960年代
朝鮮戦争からの復興が本格的に始まります。63年から79年まで朴正煕(パク・ジョンヒ)が大統領を務め、経済開発に着手。1965年の日韓基本条約締結、ベトナム戦争参戦の特需などを経て「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる急速な復興と経済成長が始まろうとする時期です。

まだまだ食糧不足が続いた時代ですが、今でも明洞などで観光客に人気の店舗が開業したのはこの時期です。オープン当初は営業が難しかった事が推察されますが、70年代以降、生活に余裕が生まれ、気軽に外食ができるようになると、美味しいと評判を呼んだ人気店は客足が順調に伸びていき、現在の繁盛ぶりへと繋がっていきます。
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  最終更新日:22.01.18
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