1950年6月25日に北朝鮮が38度線を越えて勃発したのが
朝鮮戦争です。戦争は1953年まで3年間続き、南北共に各地に被害が続出し、ソウルの店主たちは釜山へと避難し、後にソウルに戻って来て営業再開させたお店もありますが、ほとんどが閉店をよぎなくされました。
そのため、朝鮮戦争の難局を乗り越えた一部のお店を除いて、現在へと繋がる老舗店のほとんどが、戦争後の53年以降のオープンとなります。
戦時中・戦後ともに米不足となり、米の代わりに米軍によって大量に運ばれてきたのが小麦粉です。
余った小麦粉を活用して
チヂミや
マンドゥ、
カルグクス、
トッポッキなどの店舗が増え始め、小麦粉を使って釜山では
ミルミョンが、大邱(テグ)では
ナッチャッマンドゥなども誕生しました。同じく、米軍から流れて来たスパムやソーセージをチゲに入れた
プデチゲも、この頃から登場しました。
また、戦争の混乱の中、北から避難して来たものの、その後、故郷へ戻ることが出来なくなった人たちによって北朝鮮式の
チョッパルや、平壌(ピョンヤン)や咸興(ハムン)といった北の地名が付いた
冷麺(ネンミョン)店などが、50年代から60年代にかけて徐々に開業していくようになります。