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聞慶セジェと五味子で知られるのどかな地方都市・聞慶。その山裾に、ある日本人女性の墓標がある。明治、大正時代を数奇な運命に翻弄されながら、駆け抜けるように生き急いだ女性。名前を金子文子(1903年1月25日~1926年7月23日)という。
関東大震災が発災した翌々日の1923年9月3日、文子は内縁の夫・朴烈とともに治安警察法により予防検束される。大審院における判決は、大逆罪により死刑(後、無期に減刑)。
獄中生活を送っていた1926年7月23日、収監中の宇都宮刑務所栃木支所で獄死する。23年6カ月の短い生涯だった。
ソウルからバスで約2時間。聞慶共用バスターミナルでバスを降り、金子文子の墓がある「朴烈義士記念館」に向かう。
山の麓に建つ記念館は、想像以上に立派な建物だ。受付で芳名録に記名した後、見学者が自分一人ということもあってか、係員が丁寧に概要を説明してくれる。
展示品は、朴烈だけではなく文子のものもかなりある。パネルと映像が中心だが、説明に日本語が併記されているので、一つ一つ読み進んで行くと文子の生い立ちや時代背景などがよく分かる。
両親の離婚により親戚の間を転々とし、9歳の時には海を渡って朝鮮の親戚の養女となった。つらい生活の中で自殺を図ろうともした。幸せとは無縁の少女時代だった。
16歳の春、文子の人生に転機となる出来事が起こる。1919年3月1日、半島を席巻した烈火の独立運動だ。7年暮らした芙江面(現・世宗特別自治市)で独立運動を目撃し、衝撃を受ける。多感な少女は、亡国の民と自らの薄幸の境遇を重ね合わせてみる。文子の運命の歯車が大きく回転 . . .