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地下鉄駅から始めるソウル街歩き~明洞駅・歴史編~

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地下鉄駅から始めるソウル街歩き 「424 明洞駅」
本日のテーマ :明洞で歴史散歩
ソウル観光の中心、明洞
コースの距離:約2km、所要時間:約0.5時間
ソウル観光で人気No.1の繁華街といえば明洞(ミョンドン)。グルメにショッピング、エステやホテル、屋台まで何でも揃っていて、初心者からリピーターまで何度でも楽しめる街ですが、意外と知られていないのが明洞の歴史です。昔の明洞の様子は?いつから栄えるようになったのか?

今回はそんな明洞の歴史を朝鮮時代から日本統治時代、そして現代へたどりながら、明洞をぐるりと一周、歩いてみることにしました。明洞にはどんな歴史の痕跡が残っているのでしょうか?
01.明洞の由来は?一般的な庶民が住んでいた朝鮮時代~ 明洞という地名の由来は、朝鮮時代の行政区域「明礼坊(ミョンネバン)」に由来します。

現在のソウルは漢江(ハンガン)を境に江北(カンブッ)・江南(カンナム)と分かれていますが、朝鮮時代は清渓川(チョンゲチョン)を境にした北部を北村(プッチョン)、南部を南村(ナムチョン)と呼び、北村には宮廷に勤める役人や両班(ヤンバン)、商人たちが多く集まっていた反面、南村は宮廷から遠い事もあり、庶民層が暮らしていました。南山(ナムサン)に至る坂道は当時、チンコゲ(チン峠)と呼ばれ、泥が多いため雨が降ると地面がぬかるため歩きにくい土地だったと伝えられています。

「明礼坊」という地名はその後、日本統治時代に繁華街となった「明治町」を経て、解放後の1946年に「明礼坊」の「明」の字と「人々が多く集まる明るい街」という意味をあわせ、「明洞」という名称がスタートしました。
<明洞に今も残る朝鮮時代の痕跡>
「掌楽院址」
大河ドラマ「トンイ」の舞台にもなった、宮中での音楽・舞踊を管轄する機関の「掌楽院(チャンアゴン)」があった石碑が、韓国外為銀行本店前にあります。(青1)
「尹善道先生家址」
朝鮮時代中期・仁宗(インジョ)時代の政治家・文学家、尹善道(ユン・ソンド)が暮らした家があったという石碑が、明洞聖堂前にあります。(青2)
「洪英植像」
朝鮮時代末期に始まった郵便事業管轄機関「郵征局」の初代総裁・洪英植(ホン・ヨンシッ)の銅像が、ソウル中央郵便局前にあります。(青3)
02.明洞が繁華街になった始まり~日本人が暮らした日本統治時代の明治街~ 朝鮮時代末期から大韓帝国(1897年~1910年)が誕生する激動の時代に、日本では明治維新後の1894年の日清戦争、1905年の日露戦争、1910年の日韓併合を経て、日本人の朝鮮半島への移住が盛んに行われました。

ソウル(当時の京城(キョンソン))に来た日本人は、朝鮮時代にあまり開発されていなかった現在の明洞と忠武路(チュンムロ)周辺に住みながら各種企業や金融機関を建てるなど一帯を開発。大通りには路面電車が走っており、1920年代には明洞周辺がソウル随一の繁華街となりました。また繁華街となった明洞の商店の約90%が日本人の経営だったと伝えられています。

その当時の様子を感じられるのがバロック式の近代建築物で、明洞と南大門市場の間の交差点付近を中心に残っています。補修工事やリニューアルをしながら保存されている姿に当時の名残りが感じられます。
<保存されている近代建築物>
旧・京城電気株式会社 (緑1)
(1928年、現・韓国電力公社ソウル事業本部)
左:旧・三越百貨店京城店 (緑2/1930年、現・新世界百貨店本店) 右:旧・朝鮮貯蓄銀行 (緑3/1935年、現・スタンダードチャータード銀行第一支店) 
旧・朝鮮銀行本店 (緑4)
(1912年、現・韓国銀行貨幣金融博物館)
旧・明洞国立劇場 (緑5)
(1934年、現・明洞芸術劇場 2009年にリニューアルオープン)
<明洞にも独立運動家の銅像がある?>

韓国外為銀行本店前にある銅像は羅錫疇(ナ・ソッチュ)という独立運動家の像です。日本統治の資本たる朝鮮殖産銀行と東洋拓殖株式会社を爆弾で爆発させようとしたが失敗し、その後、警察の追撃を受け銃撃戦の末に射殺されました。

東洋拓殖株式会社の跡地である韓国外為銀行本店前に銅像があります。
(緑6)
03.喫茶店ブームに沸いた明洞~文化・芸術家が集まった60~70年代~
1948年大韓民国の成立後、朝鮮戦争(1950年~53年)の影響により明洞も大きな被害を被りましたが、1956年に立てられた都市再開発計画に基づいて新たに整備がはじまり、1960~70年代には再びソウルを代表する繁華街として復活。特に洋服店や宝石店を中心に流行最先端のファッションを追うファッショナブルな街になりました。
また、今も残る老舗飲食店がこの頃からオープンしはじめた他、70年代には喫茶店ブームが起こり、文化人・芸術家たちが喫茶店で交流を深めあうなど、「明洞の喫茶店でコーヒー」というのが一種のステータスになりました。
明洞一の老舗ホテル・サヴォイホテル
(1957年/赤1)
今もなおレコードを販売する大韓音楽社
(1962年/赤2)
3代続く明洞咸興麺屋
(1964年/赤3)
NANTA劇場が入っているユネスコ会館ビルのレトロなプレート
(1966年/赤4)
ユネスコ会館ビルのロビーは重厚な雰囲気
喫茶店ブーム時にオープンしたgamoo
(1972年/赤5)
毎日のように行列ができる明洞餃子
(1976年/赤6)
かつて芸術家たちが足しげく通った
「銀星酒店」の址を表示する石碑(赤7)
04.外国人観光客の増加~ソウルオリンピックと民主化、そして現在へ~
1988年に開催されたソウルオリンピックと民主化を経て、江南(カンナム)が新たに開発されるとソウルの繁華街が明洞の一極集中ではなくなり、各地に分散されるようになりました。特にファッション分野は狎鴎亭(アックジョン)・清潭洞(チョンダムドン)が流行トレンドの最前線となると明洞は一時的に活気を失いましたが、外国人観光客が増えミリオレなど大型ファッションビルが登場すると再び街に活気が戻りました。そして明洞は2006年の観光特区化を経て、現在のような国内外の観光客に人気No.1の繁華街となりました。
今後は日本だけでなく、中国や東南アジアからの外国人観光客が更に増え、ますます国際化していく事が予想される明洞。明洞の昔と今、そして未来に思いを馳せながら今回の街歩きは終わりです。
地下鉄4号線明洞駅前にある、
ショッピングで有名なランドマークといえば
ミリオレ明洞
明洞の一等地として知られる一角は、
スターバックスコーヒー、パスクチを経て
現在はNATURE REPUBLICに。
1898年の完成以来、明洞の歴史をずっと見てきた明洞聖堂は、これからも変わる
ことのない明洞のシンボル
地下鉄駅から始めるソウル街歩き
明洞(ミョンドン)などの人気観光地はもちろん、ソウル市内各地や地方都市まで定期的に更新をしている「コネスト韓国地図」。何気なく見ているだけでもちょっとした旅行気分を楽しめますが、中には気になる地名や場所があったりしませんか?そこで「コネスト韓国地図」を手にしながら、気になる場所を実際に歩いてみる街歩き企画を、全12回にわたってお届けします。次回の街歩きもご期待ください。

第1回:清涼里駅
第2回:乙支路入口駅
第3回:ワールドカップ競技場駅
第4回:玉水駅
第5回:夢村土城駅
第6回:ポラメ駅
第7回:蚕室駅
第8回:臨津江駅
第9回:淑大入口駅
第10回:新堂駅
第11回:西大門駅
第12回:明洞駅 歴史編・ 路地編

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  最終更新日:14.04.10
※内容は予告なく変更される場合がありますので、あらかじめご了承ください。
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